言語の習得過程

2014年12月9日

言語は複雑で、教科書通り真面目に学習したからと言って使えるようにはなかなかならない。日常語や方言、ニュースの日本語、バラエティの会話・・・私たちはどのように母国語を習得したのだろう?と思って振り返っても、そのプロセスはどうもよくわからない。自分自身の日本語習得もそうだが、娘がどのように日本語を習得したのかも振り返るのは難しい。

台湾に行って、さんざん苦労した挙句、台湾人と間違えられるくらいの中国語を話せるようになった娘。こちらは、そのプロセスを少しは振り返ることができるものの、「ある日突然わかるようになったって感じ」という表現に、タジタジとしてしまう。

うちに2か月間ホームステイをしていたオードリーちゃんも、たしかに教科書を使って日本語を勉強したのだけど、瞬く間に日常に必要な会話ができるようになった。何かを暗記するとかそういうこともなく、机に向かってコツコツと何かするということもなく・・・

中国人の中学生の女の子も、日本に来て1年半、学校の話から政治的な話、バラエティの話など、どんどん話してくれる。

私は、というと、どれだけ一生懸命勉強しても、そして英語の文章を書いても、分厚い洋書も何冊も読んだのに、英語が「わかった」というような感じはまだ知らない。「英語ができる」と言ってしまうと、「なんだ、できないじゃないか」という場面に出くわすし、だからといって、「できない」と言ってみたら「できるじゃない」と笑われる。現地で勉強したことがないとはいえ、オードリーちゃんや中国人の女の子が日本語を勉強するよりたくさんの時間を、私はかつて英語に費やしたかもしれない。それなのに、こんなに中途半端な段階で止まっていて、そこを抜け出すことができないのだ。

言語はどんどん暗記していくのが近道かな、と最近思ったりもしたのだが、「暗記はつまらないです」と中国人の女の子に言われてしまった。そういえばオードリーちゃんも暗記なんかしてないのに、どんどん話せるようになっている。

語彙や文法を覚えるのは最低限必要だろうけど、そういったことを「運用」する練習こそが必要なのかもしれない。自分が使う場面を想定しながらの練習。しかも、楽しく!

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