「読解」について

2014年5月21日

作文教室の教材に、新聞記事を用いることがある。すると、え? というところで子どもたちが躓いていたりするのに驚く。先日は、「〇〇教授はこう述べている。……同教授はまた、こんなことも述べている」という形の文章の、「同」の意味がわからなかったようだ。「そういう名前なん?」「同って、どういう意味?」と。繰り返しを避けるための表現であることを説明すると、納得してくれて、テキスト中から同じように「同△△」と使われている箇所を探し出し、「あ、この“同”は△△ってことやな!」とか、勝手に「読解」をし始めた。

あるいは、「米国」はなんとかわかっても、「欧」はわからない。これなどは、説明すれば問題なく理解できる部分だ。

あるいは、日本企業の特徴として「ヒエラルキーが硬直的」という表現が出てきたのだが、これも意味がわからない。「ヒエラルキー」の意味、そしてそれが「硬直的」であることを説明すると、みんな納得する。とくにクラブ活動でそのようなヒエラルキーが身に染みているであろう中学生は、深く頷いていた。

説明したり、みんなでそれを噛み砕いて理解していったり・・・そんなことをしているときに、ふと思うことがあった。

これって、日本語なのに外国語みたいだ──

言葉の意味をひとつひとつ理解し、言葉の並べ方のルールを確認し、それらを文章の中でさらに捉え直していく。日本語だと、なんとなくわかってしまう部分があるから、ふだんはもしかすると確認しないまま流れていってしまっているかもしれない。けれども、外国語だと、ひとつひとつ確認して積み上げていかないと、全体の<意味>へは辿り着かない。

もしかすると、「読解」の力を鍛えるのに、英語を用いるのは有効かもしれない、と思ったのだ。

単語の意味を確認し、言葉の並べ方のルールを確認し、それらを文章の中でとらえ直していく。そしてそのプロセスによって浮かび上がってくる文章のメッセージ、意味についてみんなで議論していく。そういったことは、英語を用いることによってむしろプロセスが明確化し、思考が鍛えられるのではないか。

英語教育が低年齢化しているとはいえ、今の子どもたちの英語力が一昔前に比べて飛躍的に上昇している気配は見られない。スタート地点がどこになるかはケースバイケースである。しかし、始めてみる価値はある。

ということで、”英語読解教室”、始めたいと思います!

英語で読んで、日本語で議論しましょうよ! 不明な点があれば、また英語のテキストに戻って確認すればいいじゃないですか。日本語と英語をそうやって行き来しながら、「読解力」の底力をつけていきましょう。ついでに、英語力も飛躍的に伸ばしていきましょう。

コメント